ドラマ トゥルク。 日生劇場『ラ・ボエーム』関連企画 ドラマトゥルクレクチャー

新しい演劇人<ドラマトゥルク>養成プログラム — 未来のアートマネジメントに向けて —:文化:教育×WASEDA ONLINE

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。 実際今回の芝居はどうなのかとか。 では、だれが劇場のプログラムを決めているのだろうか。 恣意的に演出を変えず、がっつり古典をやりながら、そこに何かしら現代人が感銘を受けるものがあるということは、吉右衛門さんを含め座組の皆さんが現代との接合点を細かいレベルでつくられたんだと思います。 僕は大学生時代から、あんまり物語には執着がなかったんですね…何て言うのかな、周りの演劇関係の人は、文学系とか映画とかの嗜好の人が多かったんですけど、僕にとっては、演劇を見たりやったりする中で、そこじゃない引き金でいっぱい感動できるし、それが演じるときのハードルになるな、って思ったんです。 2011年5月に三重県文化会館で上演された ままごと「わが星」で音楽を担当、2012年10月に三重県文化会館で上演された音楽劇「ファンファーレ」で、音楽・演出を担当した。

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野村政之 演劇の向き合い方

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原子力エネルギーについて色々なリサーチをしていく中で、リサーチした断片をコラージュすることで台本をつくろうということになりました。 単純にその館を回してるだけで、それ以上は望まれてないし望んでもいない、っていうのが職場の感じだった。 と、同時にアート界と企業をどう結びつけるかも大きな課題だった。 それでは積み重ねができません。 何かにつけてテレビが参照項となる日本とは、演劇に対する意識がまったく違うのである。 これが「カタルシス」の要因だそうですが、まあそんなようなことが書いてありました。

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制作者がドラマトゥルクを名乗る必要があるのか

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ただし私が疑問に思うのは、ドラマトゥルクという概念が一人歩きしてしまい、制作者とは全く別にドラマトゥルクという職能が存在するかのような風潮にあることだ。 件名に「ドラマトゥルク養成プログラム」とお書きの上、 本文に「お名前・ご所属・ご住所・電話番号・メールアドレス」を明記し、以下の課題に対する応答を添付してご提出ください。 あの歌詞が誤意訳『かもめ』ということです。 現代人にはなかなか理解できない展開です。 「全然創造的じゃない」ってことと、でも「市民に開かれた場所だからいろんな人が来る」っていうことを、どうつなげられるかっていうのが、僕の活動の出発点です。 マジで。

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オールウェイズ・カミングホーム|フェスティバル/トーキョー19

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「我々は絶対に当事者にはなれない」というのが、阿部さんが一貫して言っていたことです。 ドラマトゥルクはまずドイツ語圏の劇場制度において職業として確立したが、演劇の研究と実践との関係が緊密化するにつれて、英語圏や仏語圏においても定着しつつある。 当然そこには人の数だけ感情や経験があるだろう。 フォトギャラリー• 」(14p) 簡潔に語られる言葉だが、ここから実態を想像することは難しい。 一応3年生の時に、団体戦で全国大会準決勝まで行ったんです。 ちょうど僕たちが『四谷怪談』を上演しようとしていた去年も、東日本大震災の2年後だったので、時代がシンクロしていると思いました。

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アーティスト・インタビュー:長島確

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そしてこれが一つの完成・統一でしょうか。 ベケット、フォッセ、ケインら海外戯曲の翻訳のほか、阿部初美、中野成樹らの演出作品に参加。 舞台上でこっちよりこっちの方が目立っちゃうとか、その理由を探して「ここで見せたい意味がこういうことだとした時に、今表現されてるのはこうで、じゃあココとココのバランスはこうした方がいいんじゃないか」とか。 パートタイムではなくて、ドラマトゥルクを専門としている方は私の他にあと1人、2人いるかどうかだと思います。 今、問題なのは制作型のドラマトゥルクである。 だが、作家・翻訳家、実践者、制作者、研究者など、演劇およびその隣接領域に関わる職に就いている/就こうとする者に広く門戸を開くことにした。

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退廃芸術、ドラマトゥルク

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母親が子どもを失った悲しみはいつの時代も変わらないとか…。 9月と2月の間に希望者が関心に応じて参加することができるオプショナル・プログラムとしては、テクスト研究プロジェクト、ドラマトゥルク/ドラマトゥルギー研究プロジェクト、文化政策研究プロジェクト、劇場実習、セミナー・ワークショップを用意する。 全部に演出家を立てた方がいいとは思わないですけど、ある程度ちゃんと毎回再検討した方がいいのではないでしょうか。 制作者は芸術面に関わらない実務屋に見られ、制作者という職能の可能性が広がらない。 チェーホフを見ようと思って行くとビックリしてしまうような作品で、こういう解釈があり得るのかと、刺激的でした。

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